京都伝統文化の森プロジェクト

コラム

2022年03月19日 伝統文化の森

「葵の森」を考える
秋道智彌(総合地球環境学研究所 名誉教授)

上賀茂神社と下鴨神社では毎年5月15日、葵祭がおこなわれる。平安時代の装束を付けた500人余りの行列に参加する人びとは葵と桂の飾りをつけている。これは、上賀茂神社の御祭神である賀茂別雷大神が地上に御降臨されるさい、「我にあはんとには、葵桂の蔓で飾り、祭りをして待てば来む」とする御葵桂(おんきっけい)の神話に由来する。あおいは古語で「アフヒ」、つまり、「会う」と「神の力」を示すことばとされている。

 

 
葵祭には上賀茂で7,000本、下鴨で4,000本、御所で3,000本の合計14,000本の葵が必要とされる。かつて上賀茂神社の境内に葵が広く自生していたが、現在、自生の葵を見ることができない。葵すなわちフタバアオイは、一つの茎に二葉がつくウマノスズクサ科・カンアオイ属の多年生草本で、福島県以南から九州まで分布する日本固有種である。森林の暗い林床部に生育し、地下茎が良く伸びて分枝する。寿命は5年以内で、自家受粉の植物である。チョウが葉の裏に卵を産み、幼虫が食草とすることでも知られる。

 

 

 
上賀茂神社の境内には、「葵の森」と書かれた看板がある。かつてあった葵の森を境内に復元する営みが「アフヒ・プロジェクト」であり、2009年から始動している。これには、上賀茂地区の社家、住民、小中高等学校、京都の自治体、企業、NPO法人など多様な個人・団体が参画している。京都だけでなく、葵の御紋で知られる徳川家由来の静岡市、浜松市、徳川家ゆかりの越前藩があった鯖江市、東京都など、ネットワークは大きく拡大してきた。葵を個別に植栽して、1年後に上賀茂神社に持ち寄るプロジェクトは、葵を通じて環境問題や葵祭の文化と歴史を一体のものとして考えるものである。

 

 

上賀茂神社境内のすぐ北に「葵の森町」があり、周辺にフタバアオイが群生していたとされている。フタバアオイが減少してきた理由はさまざまである。地下水のくみ上げによる帯水層の低下、高木の植生変化と林床部環境の激変、近年の密採集、ニホンジカによる食害などが考えられる。

 

上賀茂神社は桓武天皇時以来、全国各地に神郡(荘園)が寄進され、広大な荘園と社叢林を有していた。徳川時代、社領は120万坪(3.97km)(東京ドーム84.5個)あったが、明治4(1872)年、「社寺上地令」により社領の多くは没収され、境内地は45,600坪(150,744m)となった。現在の境内地は、662,290m,(東京ドーム16個)である。

 

一方、下鴨神社では平安京遷都後、社叢林は推定495万kmあったが、応仁の乱(文明2(1470)年で境内の7割の森が消滅した。時代は下るが、1934(昭和9)年の室戸台風により、境内にあった数千本の樹木が97本に激減している。翌1935(昭和10)年、大水害が市内で発生し、それ以降、それまで植生になかったクスノキの植栽がおこなわれた。最近では、2018年の台風21号による被害を受け、境内の大木が248本倒壊した。砂礫質の地下に樹木は根を地中深く張れないので、強風で大木が倒壊したのである。

 

京都は北、東、西を山で囲まれた三山からなり、歴代、京の都と森林とのかかわりは密接にあった。遷都後、人口増加、寺社の集中、都としての発展に木材需要は欠かせなかった。建築資材の伐採、住民による木材資源の利用や畑地への改変による農作物食料の供給、野焼きによる延焼も大きく、森林の荒廃も相当進んできた。

 

社叢林は聖なる空間であった反面、周辺農民による非木材森林産物の利用も一部、おこなわれた。森林開発の進展により京都市内だけでなく下流域の淀川水系における度重なる氾濫や水害が多発した要因に、森林喪失、土砂の流出などが大きくかかわっていた。

 

明治期に国家及び自治体の政令を通じて植林事業が進められたが、社叢林においてもどのような樹種を植栽するかが大きな議論となった。たとえば、明治神宮の森を造った本多静六は「天然更新」の技法を元に、シイ、カシ、クスノキなどの常緑広葉(照葉)樹で約100年で自然の森にする計画を立案した。時の総理大臣大隈重信は、「神宮の森を伊勢神宮や日光東照宮の杉並木のような荘厳なものにするように」と指令したが、本多はこれをしりぞけ説得させた。一方、南方熊楠は神社合祀令が明治39(1906)年の勅令により推進され、全国で1914年までに約20万社あった神社の7万社が壊された。神社の森(社叢)林の生物多様性が劣化することを憂慮して、1907年より反対運動を展開している。

 

植林はふつう木本植物の植栽を指すが、草本の例はアサザくらいで少ない。この点でフタバアオイの再生は、日本の森林を考える独自の意味と役割を担っている。草本というだけで、経済的な価値はほとんどないフタバアオイは、古代以来の伝統をもつ葵祭のシンボル的な存在である。葵祭の持続には欠かせないうえ、現代の地球環境問題、森の変化と保全、森と文化、森と人間との本源的な関わりを再考する上で重要なメッセージをもっている。

 

 

 

文責:秋道智彌
   総合地球環境学研究所 名誉教授

 

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