京都伝統文化の森プロジェクト

コラム

2021年02月17日 伝統文化の森

千年の都と山並み
髙橋康夫(京都大学名誉教授)

2021年2月7日(日)、京都伝統文化の森推進協議会第30回セミナー(オンライン開催)において、表題のような内容でお話しする機会を与えていただいた。以下は、その概要である。

 

1. 京都の原風景と平安京三山

都市には原風景がある。北の札幌が石狩平野の〈森と野〉であるように。また南の那覇が、古都の首里=琉球石灰岩の〈丘と森〉、海港の那覇=サンゴ礁の〈海と島〉であるように。

京都の原風景、もともとの根源的な風景とはどのようなものであろうか。大きく二つあり、「古き京」と「古き自然」である。「古き京」とは、平安京を創出するにいたった首都の歴史や原点、つまり日本の都城や倭京、中国の都城である。

「古き自然」とは、平安京以前さらに太古の自然の姿である。太古の時代、京都盆地には大阪湾から海水が入ってきており、東の吉田山(標高103m)、西の双ヶ丘(標高116m)、北の船岡山(標高112m)は、孤立した島であったという。海上に浮かぶ島は、いかにも神仙思想の三つの神仙島――蓬莱・瀛洲・方丈――を思い起こさせるイメージであり、始原的・幻想的な風景として興味深いが、それはともかくとして京都の根源的な風景は、〈山と水〉ないし〈山と森、海と島〉なのである。

平安京建設直前の京都盆地は、山並みが東・北・西を囲み、鴨川や桂川など幾筋もの川がおよそ北から南へ流れていた。山野には常緑広葉樹(照葉樹林)のシイ・カシ・クスノキ、また河畔には落葉広葉樹のムクノキやエノキ、ケヤキが繁っていたという。また広大な野や原のあいだに吉田山・双ヶ丘・船岡山が鼎立していた。南には京都盆地の河川が集まる広大な巨椋池(1941年干拓の完成により消滅)があった。

京都の原風景は〈海と島、山と岡、川と池、森と林、野と原〉である。人の生活空間の成立基盤というべき自然の多くが京都の原風景となっているのは、京都の重要な特性といえよう。

ところで、京都盆地の山々については、伝統的・土着的な観念として①神なる山・神の住む山、②青垣山、③葬地としての山、死者の住む山、④修験の山、⑤資源としての山、また渡来思想として①玄武の山(北岳・風水思想)、②神仙の山(「三山」=蓬莱・瀛洲・方丈)、③鎮めの山(三山・四岳・五岳)などがあった。

京都盆地北部の三つの山、吉田山と双ヶ丘と船岡山は、神の山、神仙思想の三山、鎮めの三山の観念が重なっていること、孤立丘陵であること、平安京と深い関係があることなど、顕著な特徴を指摘することができる。大和三山(香具山・畝傍山・耳成山)と共通する特徴をもつこの三つの山は、「平安京三山」(神楽岡・双岡・船岡)と呼ぶのがふさわしい。

 

2. 平安京・京都の発展と山並み

平城京遷都の詔に示された四神相応や三山の鎮め、亀筮の占いなどは、選地の必須要件であった。四神相応とは、古代的な世界観にもとづいて東西南北の方位に神獣、色彩、地物などを関連づけ、都市や住宅の立地にふさわしいかどうかを判断するものであり、青龍(東・川)・白虎(西・大道)・朱雀(南・池)・玄武(北・岡)とされる。また三山の鎮めは、藤原の宮や京の地を鎮める大和三山(香具山・耳成山・畝傍山)の事例がよく知られている。亀筮の占いは、亀の甲羅を焼いて、また筮竹を用いて吉凶を占うものである。

平安京と四神相応の地形については、青龍・白虎・朱雀・玄武にそれぞれ東の鴨川、西の山陰道、南の巨椋池、北の船岡があてられる。人工の山陰道以外は、京都盆地北部の顕著な自然である。いうまでもなく、「平安京三山」が宮や京の鎮めをなす三山と考えられたであろう。さらに船岡を通る南北軸線および神楽岡・双岡を結ぶ東西軸線は、平安京都市計画の基準線となっていて、「平安京三山」は生活空間に秩序を与えてもいる。

ところで、日本の都城が周囲の自然と連続しているのは、ユーラシア古代・中世世界の首都のなかではめずらしく都市壁 ’City Wall’ をもたなかったことによるものであろう。平安京ではまわりを取り囲む山河が都市壁に代わる「城(しろ)」=要害とみなされたが、山並みや河川はたんなる土塁、堀なのではなく、遷都の詔などに「山川もうるわしく」、「山河、美をほしいままにして四周に連なる」と称えられたように、都城をめぐる自然を美の対象として捉え、選地の理由の表面に据えているところに新鮮さや新規性がある。自然に抱護される平安京という意識、山川の美という選地思想、「風景都市」志向は、近・現代京都の「山紫水明」観や眺望重視政策の原点といえよう。

平安京が都市化し、人工空間が増大するにつれて周囲の自然に都市住民の関心が向かい、自然の名所の発見さらに再発見が進んで、都市生活空間のなかに自然を取り込むようになった。貴族は寝殿造の池庭や坪庭をつくり、また郊外の名所を写した障屏画で室内を飾り、一方庶民も新たな都市住居=町家に前栽をつくった。

平安京・京都をめぐる山並みへの意識は、おおよそ古代の平安京三山から近世の送り火の五山、現代の京都三山へと推移・展開してきた。景観的には近景・中景そして遠景をなす山並みは、その歴史と文化を重層化しつつ同心円状に広がっている。それらは京都の人々の鎮地・鎮魂・鎮災の信仰と深く関わっている。

 

3. 文化遺産としての京都三山

京都の山並みは、京都の人々にとって、さらには日本の人々にとって大切であるにもかかわらず、その価値が見落とされてきた。たしかに船岡山が史跡に、「雙ヶ岡」が名勝に指定されてはいるが、吉田山は未指定のままである。「大和三山」が名勝に指定されているように、「平安京三山」も国指定名勝として十分な価値があると考える。「送り火の五山」も同じである。さらに比叡山から稲荷山にいたる東山も、重要文化的景観として選定されるべき価値を備えている。

京都・日本の大切な文化遺産として、京都の山並みを知り、守り、活かすことが求められている。

 

文責:髙橋康夫

京都大学名誉教授

日本建築学会名誉会員

一般財団法人建築研究協会理事長

 

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