2020年01月20日 伝統文化の森
比叡山と京都伝統文化の森推進協議会と東山修験道
鎌田東二(京都伝統文化の森推進協議会 会長)
徒歩で比叡山に登りはじめて13年あまり。
回数は600回におよぶ。
このコラム記事は1月20日に書いているが,今年,令和2年(2020年)になって,1月2日,5日,14日,20日の4度比叡山に登った。
5日は雪が積もっていた。
2020年1月5日 比叡山つつじヶ丘への道
比叡山つつじヶ丘のお地蔵様
比叡山つつじヶ丘より見た水井山とその右奥の比良山
なぜ比叡山に600回以上も登るようになったのか? そのいきさつはこうである。
2006年10月のある日,当時勤めていた京都造形芸術大学の授業が始まる前,少し時間があったので,大学近くの山に入ってみた。
まず,石川丈山が造ったという詩仙堂から,宮本武蔵が滝に打たれて修行し「我,神仏を尊んで,神仏を恃まず」という悟りを得たと伝承される八大神社(祭神は素戔嗚尊)を経て,路地に入るような感覚で,東山に入り込んでしまったのだった。
が,途中で道が途切れてしまったので,しかたなく山の斜面を這うようにして登り,汗だくになって尾根道に出ることができた。
このとき,自分のなかに眠っていた野性の感覚が目覚めたのだ。
ゾクゾクするような,ワクワクするような,フルフルするような奇妙だが,純粋に,「たのしく,おもろい」という感覚。そんな感覚が目覚めた。
東山の森のなかで。
今は,そのときのことを私の中の「縄文ソフト」が目覚めて再起動したと思っている。
その自分のなかの叫び出しそうな古層の感覚。
それが再起動しはじめる快感に恍惚とした。
紅葉のはじまりかけている京都の山中を道にはぐれた一匹のちいさなけものが,落ち葉をサクサクと踏みしめながら歩いてゆく。
そのとても純朴でやさしい土と枯葉の触感に陶然となった。
それからすぐ,この付近(京都市左京区一乗寺)に住み着いて,機会あるごとに比叡山に登ったり,東山三十六峰を歩くようになった。
その記録は,「東山修験道」と称して,科研研究会の「モノ学・感覚価値研究会」や「身心変容技法研究会」のHPの「研究問答」欄に投稿している。
そして,それがもとになって,『聖地感覚』(角川学芸出版,2008年,2013年に角川ソフィア文庫)という本を書くことにもなった。
そのうちに,宗教学者の山折哲雄さんに誘われて,京都伝統文化の森推進協議会にかかわることになった。
この京都伝統文化の森推進協議会は,わたしが比叡山に登り始めて1年ほどした平成19年(2007年)12月,元国際日本文化研究センター所長の宗教学者山折哲雄さんが発起人代表(初代会長)となって,最初は京都東山地域や寺院,また企業,学識経験者,行政(林野庁,京都市)が集結して,「京都に根付く貴重な歴史的文化資産を継承し,自然力・文化力・人間力を再創造し,日本文化を再生する森づくりを進める」機関として結成された。
以来12年がすぎて,この12年ほどの活動を1冊の本にした。まもなく京都のナカニシヤ出版から『京都の森と文化』と題して刊行されるが,ぜひ多くの方々に読んでいただきたい。東山の一角を中心に林相改善事業や市民参加の森づくり活動を行う「森林整備・景観対策事業」と,公開セミナーや各種イベントなどを通して「京都三山」の文化的価値を発信する「文化的価値発信事業」を二本柱にした活動は,21世紀の森と人と社会との共生のありようを探る実験的実践的な試みとして意義あるものだと思っている。
「京都三山」とは,京都盆地を取り囲む東山と北山と西山の総称であるが,本協議会が始まるころ,京都三山はナラ枯れ被害やシカ害,またシイ林の繁茂により,植生や林相の変化が顕著になり,危機的な様相を示していた。その上に,一昨年9月の台風の影響により根返り倒木が京都三山全体で約50万本あまりにも上っている。これはたいへんな被害である。何とかしなければならい。
京都の森は悲鳴を上げている。そんな悲鳴の現状をきちんと聴き取り,どんな手当てをして未来世代にこの大切で貴重な森を伝えていくのか,関係者や市民のみなさん方とともに探り,実行を重ねていきたい。
この京都伝統文化の森推進協議会は,世界遺産の清水寺,青蓮院,高台寺,祇園商店街等の社寺や地元団体等のサポート,林野庁近畿中国森林管理局の協力のもと,伝統に即した京都三山の森づくりのモデル事業として,東山国有林の森林整備と景観対策事業から始まったが,ここ12年間の活動の全貌は,日本各地の森林整備や森の文化の再発見・再創造にいくつものヒントをもたらすものだと思っている。ぜひいろいろと参考にしていただき,また広く伝統文化の森サミットやネットワークを形成していきたいと思っている。
ところで,わたしは,1984年4月4日に初めて奈良県吉野郡天川村坪ノ内に鎮座する天河大弁財天社に詣でて以来,35年あまりで300回以上,天河を詣でてきた。そのなかで,「修験道」という日本独自の神仏習合文化のありように注目してきた。天河大辨財天社は古く「吉野熊野中宮」と呼ばれ,修験道の奥駈け道の中軸をなす弥山(みせん)に奥宮を持っている。
修験道とは,日本列島の風土の中で発達した,自然として現われ出る神仏への讃仰と身心対話によって,深い叡智(即身成仏智)と力(法力・験力・霊力)を獲得しようと修行する日本独自のユニークな習合宗教文化である。そこでは,自然(じねん)智(ち)と身体智の探究と霊力の獲得が山岳跋渉の修行を通して実践されてきた。その修験道の蓄積してきた自然智の文化をわたしは「生態学的身体知」としての「生態智」と呼んでいる。
そのような「生態智」のことを含め,天河大辨財天社の柿坂神酒之祐宮司さんと一緒に『天河大辨財天社の宇宙――神道の未来へ』(春秋社,2018年)を出版したことがある。
自然を畏怖し,讃仰する。「身一つ」になることで,おのれの「身の丈」を思い知り,この「身一つ」で何ができ,できないかをはっきりと掴むことで,自然界の中の人間の位置,自己の位置を知り,謙虚に生きてゆく。そんな自然智と身体知の自分なりの実践として,この13年あまり,「東山修験道」を「身一つ修験道」あるいは「身の丈修験道」と位置づけて比叡山登拝を中心につづけてきた。人工的な助けをできる限り排除して「身一つ」で歩行しようとしたら何ができるかという問いと実践。「身一つ」を実践するということは,自分の等身大の「身の丈」を思い知ることである。わたしたちは,森の動物とはちがって,裸や裸足で森を歩くこともできない。身体それ自体が「身一つ」そのままでは一歩も山に入ることができないひ弱な脆弱性を持っているからだ。裸足で歩くと,小石や木切れを踏みつけ,足の裏が痛くて傷だらけになる。こうして,無力の極みを知ることになる。
ソクラテスの「無知の知」ではないが,この無力の測定・自覚こそ「東山修験道」の原点となる。この身この時,この即身の現実をありのままにみつめると,当然のことながら,どんな人間も「身一つ」では生きられない事実に気づく。さまざまな身体武装をしている事実に気づかされる。鉱物も植物も動物もみな「身一つ」で生きている。だが人間だけが自然界のその流れに反して「身二つ」にも「身三つ」にも装って過剰な生き方をしている。それをできるだけ「身一つ」の「身の丈」に近づけるところから人間の位置と日常生活を考え,組み替えていきたいと日々悪戦苦闘している。
文責:鎌田 東二
京都伝統文化の森推進協議会 会長
京都大学 名誉教授
上智大学グリーフケア研究所 特任教授
放送大学 客員教授
【参考文献】
京都伝統文化の森推進協議会編『京都の森と文化』ナカニシヤ出版,2020年2月刊
鎌田東二『聖地感覚』角川学芸出版,2009年(角川ソフィア文庫,2013年)
鎌田東二・柿坂神酒之祐『天河大辨財天社の宇宙――神道の未来へ』春秋社v2018年
鎌田東二・ハナムラチカヒロ『ヒューマンスケールを超えて――わたし・聖地・地球(ガイヤ)』ぷねうま舎,2020年2月刊
鎌田東二『南方熊楠と宮沢賢治』平凡社新書,2020年2月12日刊