京都伝統文化の森プロジェクト

私たちの取り組み京都三山の歴史

京都三山の歴史

京都三山の歴史
ここでは東山の森について,時代の流れと共に変わってきたその植生を解説します。

平安時代以前

京都に都が移されるまでは照葉樹林が広がり,多様な樹木が生育する明るい森でした。山の植物や生きものは盆地に暮らす人たちにとって,貴重な資源の供給地源でした。

平安時代以降

京都に都が移され,建築資材として利用されたスギやヒノキはほとんど姿を消してしまいました。柴や薪などの生活資材の採取の度合いも高まり,三山の森林景観は常緑樹林からアカマツや落葉樹の林に変容しました。
この変化は歴史的史料でも確認でき,時代によって描かれる山の景観も変わっています。

明治時代

森林景観は明治維新以降,大きな転機を迎えます。
明治政府は森林防災のために伐採・再送の制限・禁止,植林奨励などの政策を進め,森林景観を大きく変化させる一因となりました。
名勝地の東山や嵐山の社寺有林の多くは国有化され,「禁伐」が徹底されました。

昭和後期

薪炭から石油エネルギーへの転換に伴い,人々は森の資源を利用しなくなり,アカマツ林や落葉樹林は再び常緑樹林に変化しました。
昭和50年頃(1970年頃)から「マツ枯れ」が猛威を奮い,マツ林の下層に芽吹いた常緑樹のシイが生長し,シイ林が拡大。その結果,東山の森は林底に日が差し込まない薄暗い森へと様変わりしました。

現在

平成10年代の後半から20年代(2000年代)にかけて「ナラ枯れ」がまん延すると共に,過剰に増えたシカによる食害が頻発して若木が育たなくなり,森の活性は衰えています。
生物多様性は損なわれ,山腹土砂災害の危険性が増加し,景観的劣化がますます進行しています。

このような状態を脱し,多様性の高い森を作る為,繁茂し過ぎた常緑樹のシイを適切な密度まで伐採するなどの活動を行っています。これは長年に渡って放置され,活力を失った森を再び健全な姿に戻し,個性豊かな樹木や生物たちがそれぞれに適した場所でのびのびと生育する為のための舞台づくりです。
京都三山の歴史現在